2005年6月15日、
74歳のお年とは思えない精力的でハイテンションな練習の後
練習場応接室にてM.アッツモン氏に、色々お話をお伺いしました。






-CONTENTS-
今回のプログラム
メタモルフォーゼン
1931年生まれ!
センチュリーの印象は?
音楽家になったきっかけは?
音楽家にとって大事なことは

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インタビュアー(以後I.):お疲れさまでした、昨日今日と充実した練習をしていただき良い時間を共に過ごせて幸せです。これは私の感想なのですがアッツモンさんは練習のときに長々と説明をすることなくその場所をどう演奏してほしいのかを短く的確な言葉で私たちに伝えてくださいますよね!ですから私たちは気分的にだれるようなこともなくテンションを保って中身の濃い練習をすることができたように思いますが。
アッツモンさん(A):そうですね、それは大変重要なことですよね、練習中はとにかく集中して練習をこなし、終わったらさっさと家に帰る(笑)
I:往々にして指揮者が自分の考えや音楽のイメージを正確に伝えようとして長々と説明しすぎたり、細かい違いにこだわりすぎてオーケストラの気をそぐことになる場合もあるんですよね。もちろん場合によりますが。
A:そう、どこでもそういうことはよくありますよね。
[今回のプログラム]
I:まず今日は今回のプログラムについてと、アッツモンさんご自身のことについてお伺いしたいともいます。まずプログラムですがまずシュトラウスの「ブルレスケ」についてお聞きしてよろしいでしょうか?
A:このブルレスケはあなた方のオーケストラで演奏するのは初めてですか?
I:はい。この作品はシュトラウスが若い頃書いたものですね?
A:特に若い頃という訳ではなく少し後のものですがとにかく変わっていますよね。これはピアノ協奏曲ですがタイトルは「ブルレスケ」(笑)
そうこの曲の雰囲気はオペラの舞台からきているものだということ。彼は生まれついてのオペラ作曲家だと言えると思います。
この作品にはオペラで見ることのできる題材例えば洒落っ気、ジョーク等が、見事に盛り込まれていると思いますね。
それからピアニストから得た着想ももちろん盛り込まれています。
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[メタモルフォーゼン]
I:そうですね、それとは全く違った逆の内容をもつのが今回のプログラムのもう一曲、「メタモルフォーゼン」ですね。これは彼の生涯のほとんど終わりの頃に書かれていますね。
A:そうです、これは面白いことに今回のプログラムを見てみるとシュトラウスの違った側面を伺うことができます。「ブルレスケ」の方は明るい一面を見せている典型的なシュトラウスの作品ですが、この「メタモルフォーゼン」は終戦当時、打ちのめされていたシュトラウスの別の一面を見せてくれます。
I:彼が若い頃活躍していたドレスデンが第二次世界大戦終戦間際に行われた集中爆撃によって壊滅的に破壊されたことも作曲のきっかけでしたね。
A:それだけではありませんが、それがもっとも大きな理由でしょう。彼は多くの作品の初演をドレスデンで行いましたからドレスデンには特別な感情を抱いていました。彼の思い出に残る場所や愛した建物はすべて灰となってしまったです。
彼は絶望のどん底にあったわけで、人はそこから如何にして立ち直れるのか。
そういう混沌とした状況に彼はいた訳です。
I:数ヶ月前にドレスデンのマリーエン教会だったかしらがその爆撃による壊滅的破壊から数十年を経てようやく復元されたとニュースが伝えていました。
A:そうですね、確か二十年以上の歳月かけて行われてきたもので、旧東ドイツの時代に始まっていた復元工事ですよね。その教会は全焼、全壊していたので全く最初から立て直さなければなかったとか。
宗教的観点から復元するというだけではなくてドレスデンに数多くあった典型的ドイツバロック建築の復元のシンボルとしても非常に意味深いものだったのです。
ドレスデンは最も美しいバロック建築の多数あった都市でした。
I:私のドイツでの師匠はドレスデン出身の人だったのでドレスデン爆撃がどんなに悲惨なものだったかを留学中によく話してくれました。また電車に乗っているとドイツ人から「日本人ですか?あなた達は「広島」の悲劇を経験しているが私たちも「ドレスデン」の悲劇を経験しているのです」と話しかけられたことがありますね。なにしろドレスデンには軍の基地も工場も全くなかったのですからね。
彼らは本当に気長にそういった教会を修復していましたね。崩れ去った教会の脇に石を整頓しておく棚が作られ、そこに番号を打たれた大きな石が復元作業に使われるまで保管されているのを見たこともあります。
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[1931年生まれ!]
I:ところでアッツモンさんは戦後のお生まれですか?
A:いいえ,私は戦前の1931年のハンガリー、ブダペストの生まれです。
1944年にルーマニアを経てイスラエルに移住しました。
I:74歳とはとても思えません、お元気ですね。アッツモンさんは私たちセンチュリー交響楽団の名誉指揮者ウリエルセガル氏はご存知ですよね?彼もイスラエルですね。ルーマニアからの移住だったかしら?
A:いいえ、彼はイスラエル生まれですよ。彼の家族はルーマニアから来たかもしれませんがイスラエル人はすべてヨーロッパ等どこか他の国からやってきたのですからね。
彼は何年ここにいましたか?
I:都合8年間でしたかしら。
A:かれはこのオーケストラ創立の時からいたのですよね。
I:そうです、ですからセンチュリー交響楽団のキャラクター、音楽的傾向というものがあるとしたらそれは彼に由来するものなのかもしれません。
A:はい、彼は美しい音楽を作り出す人です。
センチュリーを指揮しに来ることはしばしばありますか?
I:残念ながらここ数年はチャンスがありませんでした。
A:彼は当時小野寺さん(センチュリー創立に関わった初代事務局長)に招かれて来たのですよね?私は彼と名古屋で共に働いていたことがあります。(インタビュアー注:小野寺事務局長はセンチュリー創立前、名古屋フィルの事務局長を務めており当時アッツモン氏は名フィルの音楽監督だったのです)
I:その関係もあってアッツモンさんはセンチュリーの定期演奏会へ一度来られていますね?
A:そうなんです、先ほど誰かが調べてくれたのですがもう12年も前だとか。もうずいぶん前のことですね。
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[センチュリーの印象は?]
I:ところで今回のセンチュリーの印象など伺ってもいいでしょうか?
A:そうですね、もちろん大変良い印象を持っていますよ。
アンサンブルが良い。とにかく良くそろっていてオーケストラに必要なものは全てそろっていますね。
今日の練習もそうだったけれども、全てが良くて一言で言うと「満足」かな。
「非常な満足!」だね。

オーケストラの雰囲気もまじめで前向き、
自分たちのアンサンブルを持っている。
I:マエストロは先ほどまでの練習もそうでしたがご自分がアンサンブルを統率するという指揮ではなく、その練習の過程で私たちの自主的なアンサンブルを築く手助けをされているようにl感じましたが違いますでしょうか?
特に「メタモルフォーゼン」でそうでしたがアンサンブルが集合すべき点を指揮を振り下ろして確固と示すのではなくてどのパートとどのパートが同じことを弾いているのかだとか、
二つのパートがどのように絡み合っているのかなど特定のパートを指定してまるでパート練習につきあうかのようにして私たち自身のお互いを聞く能力を呼び覚まして下さるような練習でしたね。
A:オーケストラというのはもちろん場合によるけれども非常に大きな「室内楽」だと言えるのです。大勢の人たちで演奏するのだけれども基本は「室内楽」
自分はどのような役割を担っているのか自覚しつつお互いを良く聞き合って演奏すること。
そのような自覚を持って各自が演奏すればオーケストラの中で演奏することに慣れきって惰性で弾くようなことはなくなるでしょう。
それを指揮者が助けなければいけない。
I:それが理由だったんですね、昨日、今日と練習する時間が非常に充実したテンションの高いものだったのは。
[音楽家になったきっかけは]
I:話は変わりますが音楽家になられたきっかけは何だったのでしょうか?ご両親が音楽家だったのですか?
A:いいえ、単なるアマチュア音楽愛好家でした、しかし音楽を非常に愛していましたし両親は私たち子供に音楽家になるように準備してくれました。
私たちは本当に貧しくてお金はありませんでしたが、姉の為にヴァイオリンを買うお金やそのレッスン代、そして次の子供(私です)が弾くチェロのお金やレッスン代はありました。彼らには夢があったようで妹にはピアノを習わせピアノトリオを組むことを考えていたようです。

当時の私たちは本当に貧しくて家族五人が一部屋きりのアパートに住んでいたので学校の宿題も一部屋で、ヴァイオリン、チェロの練習もその一部屋で一緒に練習していたのです。

その当時私たち家族は、寝室もリビングもない本当の一部屋のみのところに生活していたのです(笑)
I:その時アッツモンさんはおいくつだったのですか?
A:13歳になっていなかった。
父は良い耳を持っていて非常に音楽的な人でした。合唱団に属していたのですが全てのパートを覚えて帰って来て、家で私たちにそれぞれのパートを教えてくれて家族で4声や3声の合唱を楽しんだものです。
私たちにとって忘れられない楽しい思い出です。
I:私たちも子供に音楽を勉強させていますがそれは素晴らしい理想的な音楽教育ですね。
うらやましい限りです。
A:そうして私はハンガリーでチェロを初めてその後イスラエルへ移住し、軍隊へ入ることとなり軍楽隊に入りました。指揮者が私に「君はホルンを吹きたまえ」と命令、ホルンを吹くことになりました。実はその前にすでに一度消防署のバンドでトランペットを吹いたこともあったのですがね。
数ヶ月の練習の後軍楽隊で演奏し、軍隊を退役した後もプロのホルン奏者として数年間あちこちのオーケストラで仕事をし、後半にはテルアビブのオペラハウスの首席ホルンとして演奏していました。
I:その時の演奏家としての経験が今に生きているのですね。
A:そうですね、でもその演奏活動を行っている間も私は指揮者になるための勉強をずっとしていました。演奏の傍ら音楽理論の勉強をしていましたし、最初は軍楽隊の指揮者となり、その後は放送局の軽音楽部門の指揮者をしていたこともあるのですよ。合唱の指揮もしました。ありとあらゆる経験を積んでそうして遂に奨学金を得てロンドンへ留学したのです。
そうしてさらに他の奨学金やコンクール入賞など指揮者としてのキャリアを積んでいくことになったのです。
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I:指揮の勉強の前に実地にプロの演奏家としてまた指揮者として長い経験をお持ちだったのですね。
うまく言えないのですがアッツモンさんは指揮棒を巧みに振り音楽を語るだけではなく、現場で我々演奏家がしなければならないことを実地面からと理論的な面から実に巧みにサポートして下さっている指揮者だなと感じましたがそういった経験が生きているのですね。

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[音楽家にとって大事なこと]
A:指揮者が一方的に押し付けても演奏は良くならないでしょう。練習でも演奏家が本当にやる気を出し集中力を持続して演奏できる状態を作ること。
このことは指揮者が気をつけなければならないポイントでしょう。
一旦集中力を欠いてしまえば取り戻すのに二倍の努力が必要になりますし。

演奏現場での集中力を一つのラインにキープして脇道にそれないように気を配るのは指揮者の最大の責務で非常にエネルギーのいることです。
I:練習方法でもそういうことは言えますね。指揮者が自分の考えるディテールにこだわりすぎて細かい練習ばかりしていると全体を見失うばかりかしばしば集中力が続かなくなる時がありますね。
A:そうですね、今日の「メタモルフォーゼン」の練習もまず最後の部分と最初の部分のディテールを徹底的に練習した後、練習予定をオーバーすることになりましたが一度通して弾きましたよね。
今日は二日目で最後の練習日ではないけれども「今日!」通すことが大事だったのです。細かい練習をした後で全体のラインを各自が見通せるようになっておく事が重要で、そうすることによってこだわって練習したディテールが如何に全体の中に配置されるべきなのか皆に理解してもらえるからです。
細かいディテールより全体の構成の方がもちろん重要なのですから。
I:なるほど。そういう事も考慮した今日の練習スケジュールだったのですね。
A:全体を見据えた上でディテールを決めていく。これは全ての芸術に共通していることです。
偉大な画家ミケランジェロは大きな大理石を見て彫刻を始めるとき、もう既に最初からその中に素晴らしい彫刻の姿を見ているのだということ。彼はただその姿を見据えながらハンマーをふるって掘り出していく。
細かいディテールの造作やバランスは全体の構成からもう既に決まっている。
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I:オーケストラの音楽でも同様なのですよね。
A:もちろん!オーケストラの音楽家も同様で全体を見据えながらディテールを正確に形づくっていく。そして一番大事な事は創造するモチベーションを持つ事だ。

音楽は素晴らしい物だということは誰もが知っている。
じゃあどうすればそれを聴衆に伝える事ができるのか?

ステージで演奏するとき我々が行っている事は芸術作品を作り出すという事。それをしっかり自覚して先程言ったように細部から全体に至るまで良く理解し、確信を持って演奏する。

この確信を持つということが大事で演奏する我々が確信を持てば聴衆にもそれはしっかり伝わるものなのです。
そうなれば素晴らしい!
I:なるほどアッツモンさんの練習の進め方はそういうモットーに沿って進められていた訳ですね。これは演奏会でも我々もきちんと理解して臨まねばなりません。

話は変わりますがアッツモンさんが前回来られた時のセンチュリーの印象はどのようなものだったでしょうか?
A:前にもお話ししましたけれど良い印象だったと思います。
何分にも12年も前の事だしその間にそれこそ世界中のあちこちでたくさんのオーケストラを指揮していますからね。

ただこれだけは言えるかな?もしひどい経験をしたとしたらしっかり記憶に残っているものだけどそれはないからね(笑)

この12年の間にメンバーはオーケストラの一員として経験を積んで来たし、当時はメンバーのほとんどがオーケストラ経験のない人たちで占められていたのでしょう?
今は皆経験を積んだ音楽家となったわけだし。

私とセガルさんは親しいのでこのオーケストラの初期の頃の話を聞いています。
まず最初にパート練習をしたりしてアンサンブルを細かく練習したりして
アンサンブルの基礎作りを一から始めたんだとね。
I:そうです、オーケストラが創立されてから最初の4ヶ月間演奏会をすることなくセガルの指揮の元でひたすらレパートリーを作りアンサンブルを作る練習をしていたのですからね。
A:それは素晴らしい事だと思いますね。普通は経験がなくてもいきなりあれを弾け、これを弾けと仕事に追われるのが常だから。オーケストラとして理想の始まり方をしたと言えますね。
I:ありがとうございます。さてもう時間も相当経ったようですのでこの辺りで終わりにしたいと思います。今日は練習の後お疲れのところお時間をいただきありがとうございました。
明日の練習もよろしくお願いします。
A:そうですね。明日もまた元気に集中力をキープして練習しましょう。
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interviewer:sano&kaz.
photo:kaz.




2005.6.16.kaz.作成