ドンナ・ドルソン(ホルン


 私は、ニューヨークのスタテン島に生まれました。小学5年の時に、いい点取ると好きな楽器が選べる、音楽能力テストがあって、私はフルートを選びました。ホルンに代わったのは6年の時です。その後ニューヨーク舞台芸術高校に入学しました。毎朝6時15分に家を出て、1時間15分の道のりを、フェリーとバスと地下鉄を乗り継いで、学校に通いました。ニューヨーク港へ向かうフェリーの上からは、いつも世界貿易センタービルの各フロアーが良く見えました。110階の展望フロアーは、私のお気に入りで、ニューヨークに来た友達をよく連れて行きました。ナント、今の主人とニューヨークで始めて行った場所もそこでした。

 15歳の時、トランペット奏者として、スタテンアイランド・ステージバンドのヨーロッパ演奏旅行に参加して、放浪の味をしめました。その時、世界中を旅行し、そこの人々の暮らしを知る事がどれだけ素晴らしいかを初めて知りました。

 ボストン大学卒業後、ノルウェーのオスロへ行き、フロイディス・レー・ヴェッケラー先生の元でホルンの勉強を続けました。1カ月ほどして先生が、ノルウェー放送オーケストラの「見習いポジション」を受けてみないかと、進めてくれました。見習いというのは、外国人は正式に雇ってもらえなかったからです。でもその時、私って、見た感じ結構ノルウェー人に似てるし、オーディションの時はホルンだけ吹いて、しゃべる必要ないし、アメリカ人とばれっこ無いと確信してました。オーディション当日、自信たっぷりで会場に入ってゆき、椅子に腰掛けました。すると審査員達がひそひそ囁き始めました。ヨーロッパのオーディションは、立って演奏。アメリカでは座って演奏。すでにバレテーラ! 審査員の中でいちばんのハンサムが“Hva heter du? ”(お名前は?)とノルウェー語で訊いてきました。私は、自分がニューヨーカーだと悟られないように、集中して答えようとしました。でも私の口から意図していない単語がすべりだしたのが見えるようでした。もう止められません。わたしは、「ニューヨークシティー」と答えていたのです。その場は笑いの渦。無事合格しましたが、その後、メンバーの皆から「ニューヨークシティー」呼ばれるようになったのは、言うまでもありません。

 寒い2年が過ぎ、今度はメキシコのオーケストラで演奏するチャンスがやってきました。メキシコでは、スペイン語を習い、知らない街を訪ね、素晴らしい毎日を過ごしました。

 その後、ニューヨークに戻り、マンハッタン音楽大学から学位を得て、ニューヨーク・シティーオペラの首席奏者としてアメリカ全土を旅し、自分自身の国を知ることが出来ました。

 日本からセンチュリーの話が来たとき、「日本??」「行きましょう!」何のためらいもありませんでした。1年で帰るつもりでしたが、世話をしてくれた人が言った「大阪の2年は2分間くらいの長さだ」は正しかった。この10年、くしゃみするくらい短かった。息子は日本で生まれ、彼にとって毎日は冒険の日々です。センチュリーのホルンセクションは素晴らしいし、ずっと前から知り合っていたように感じます。これこそ、音楽の持つ力です。たとえ互いの文化が違っていても、音楽は超越した言葉です。これからもセンチュリーは、創造的なリーダシップを持って、関西文化の中で明るく輝く宝石のようで有り続けてほしいです。

ドンナ・ドルソン

ドンナの家族


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