定期演奏会の前日、園田先生との合わせ稽古二日目練習終了後に
センチュリーオーケストラハウス・サロンでインタビューさせていただきました。







-CONTENTS-
コンチェルト協演は・・
楽譜の背後にあるモノを読む
音楽で人生観を表す
精力的な演奏活動の秘訣は?
音楽家は自己に厳しく

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[コンチェルト協演は・・]
I(インタビュアー):園田先生には練習の後のお疲れの所申し訳ございません。
少しお時間いただいてお話を伺いたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
園田先生はすでにこのブラームスのピアノ協奏曲第2番はそれこそ数え切れないくらい演奏されてきたことと思いますが私たちはほんの数回なんです。
センチュリーの定期ではもう随分前になりますけれどベートーヴェンの3番5番を協演させていただいています。
S( 園田):そうですね、センチュリーとのブラームスは今回が初めてですけれども大阪では朝比奈先生と大フィルでは何回もブラームスの協奏曲を協演していますね。
I:私は以前大フィルで弾いていたので先生とは何回か協演させていただいています。
S:あぁそうですか。朝比奈先生とのブラームスは「涙のブラームス」みたいでしたね。
先生に置いてきぼりくらったり先生がついて来なかったりしてね(笑)
I:私はセンチュリーとの先生とのベートーヴェンの三番の演奏会が非常に印象深く記憶に残っています。
先生ご自身大変思い入れを込めて演奏に望んでおられたような・・・。
S:そうでしたか?僕自身もちろん長年演奏してきている曲ですけれども単に繰り返しで弾いているのではなくて、
毎回新たに新鮮な思い入れを込めて演奏している訳ですから。
長年繰り返し弾くことでまた新たな発見というものもあるわけです。
またオケが良ければ良いほど、指揮者が良いほどお互いに触発されて何か新しいモノを見つけることができる。
いろんなハプニングも起こるけどそれが生の演奏の醍醐味ですよね。
I:人の「会話」と同じ事ですね。
S:そうそう!同じ人と喋っていてもその時調子づけば話がどんな風に進むかわからない・・・
I:話は戻りますが私たちと確かベートーヴェンの5番を弾かれた時、
2楽章で原譜にあった書き込みとその情景のお話をなさったのが強く印象に残っているのですけれども。
S:ええ、最近ベートーヴェンの書いた原譜を厳密に検証して出版された原典版が手に入るようになってきましたよね。
あの場所もこれまでただ”ピアノ・エスプレシーヴォ”とだけ書かれていただけの所に実は「ほの暗く」と書き込みがあったんです。

つまり夜明け前なんだというベートーヴェンの指示があって、それで初めてエンペラーの第2楽章は丑三つ時を表すH-Dur で始まるんだということがわかる。
そのロ長調の弦楽器のピチカートの中にピアノがほの暗く出てくる。
そしてだんだん進展していって夜が明けてきて人間の勝利を謳歌する第三楽章に進むんですよ。
そう!もう一度最後にピチカートが一つだけあってあの勝利のテーマ♪タラタラ、タラタララーーン

と始まるわけですよ。

そういう発見をつい最近まで知らなくて、ただ弾いていたわけではないのですけれども、今まで知らずに何十回となく演奏してきてしまった。
I:それはいつ頃お知りになられたのですか?
S:そうつい最近のこと、ここ十年以内のことですね。
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[楽譜の背後にあるモノを読む]
I:それじゃあもう毎回演奏するたびに何か新たな発見があってどんどん変わっていくのでしょうね。
S:そうですよ、そう!
若いときにはどうしても音符の通りに弾くことがまず第一に来てしまう。
もちろん楽譜に忠実に演奏するということはもちろんなかなか大変なことです。

でもそれだけじゃなくて音符がどうしてそう書かれたのかということに考えを及ぼすことが大切なのです。

例えばこのブラームスの2番の冒頭、あれはアルプスのホルンです。

そしてその後トュッティがあってピアノがカデンツを演奏した後もう一度壮麗なトュッティが出てくるところ。
あれはアルプスの雄大な山ですよ。
意気軒昂に山を登って行く場面です、だからダラダラなんか弾いてはだめ。
指揮者によっては一旦壮大なクライマックスに持って行ってから山を下り叙情的なテーマに入る。

そういう発想になるためには何十回となく演奏して、その間にブラームスの伝記
などを読んでこないとだめだということでしょうか。

「楽譜通りに弾くだけではダメ? じゃあどうしたら良いんでしょうか?」
と悩むその時点でようやく音楽が始まるんです。
I:先生ご自身の伝記、数年前日経新聞に連載されていたこの「私の履歴書」にも書かれておられますけれども
楽譜にある音符をその通りに弾くだけではなくそこに至った背景だとか・・・・

(私達、日経新聞に4年前連載されていた28回にも及ぶ園田先生のインタビュー記事を下勉強してインタビューに臨んでいました)
S:そう、作曲家がその曲に込めた思いに考えが及び、またそれに対してその人自身の思い入れや主張がなければなりません。
I:そうですね、ただ演奏するだけでは・・・
S:ただロボットのようにお喋りするだけではね。
ロボットに主張することはできないし、人間はそれぞれに思い入れを持っているわけだからちゃんと主張しなければね。

I:なんだかいきなり核心の話題に入ってしまいましたね(笑)
S:いや核心も核心。それが全てですよ!
I:先生はこの日経新聞の連載記事「私の履歴書」で度々仰っておられますよね。
自分がこれまで生きてきた人生は音楽そのものがまさしく命となるものなんだと。
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[音楽で人生観を表す]
S:音楽家っていうものは音楽を通じて自分の人生観なり世界観なりを表していくものなんです。
作曲家はもちろんのこと演奏家の方も

作曲家は一体、どういう思いで努力して曲を書いたのだろうということに思いが至らないと。
先ほどの話に戻るけれどもただ音符を並べるだけの自己主張のない演奏なんて意味がない。
思想無く弾くだけならロボットかコンピューターでもできることです。
I:音を正確に弾くだけのそういうテクニカルな意味での完璧な演奏マシーンはもう近々できるでしょうね。
なおさら演奏家自身の解釈や主張が大切な時代になってきますね。

話は変わりますが先生はそこに至るまでに色々な経験をなさって来られた。
最初パリに留学された後ドイツへ行かれて音楽仲間と演奏に関して話している時
彼らは音楽一般だけではなく哲学や思想・芸術一般についても話題が広がっていく。
ドイツ語の能力もまだ至らないだけではなくて自分のドイツ文学に対する知識もなくて
非常に悔しい思いをしたと日経新聞に書かれておられますが実際どうだったのでしょうか?
S:「自分たちの方がうんと小さい頃からベートーヴェンを長い間勉強してきたのに、おまえたちには絶対わかりっこないよ」
なんて言われて怒り心頭でした。
そこで反論できなきゃだめだし、その悔しさから随分頑張って勉強しましたね。

日本では浪漫派、浪漫派って随分簡単に言うけれども日本には浪漫派というものはないんですよね。
そのまま印象派に行ってしまったわけで、日本の浪漫主義っていったら喩えて言えばまあ見よう見まねで
香水ふりかけて楽しくやっているようなものです。
ドイツローマン主義なんて言うと本にしたら哲学と一緒になってそれはもう大変な分量ですよ。
そう言うものが全部わかってないとシューマンだのブラームスには行けないじゃないですか・・・。
それはもう一筋縄ではいかない問題なんですよ。
I:私達はそういう勉強の時間がなかなかとれなくて、もうただただ音を追うと
いう演奏になってしまいがちなんです。
もっともっと勉強しないといけませんね。
S:喩えばベートーヴェンの曲の構造自体は主和音・属和音・下属和音だけ
しかなくて他の作曲家に較べると比較的簡単。しかし調性の中でそれが絶えず動いているだけな訳でしょ。
じゃあ何だって言われたら、
「自分はベートーヴェンをこう解釈するんだ、ここを大事にして演奏するんだ」
っていう主張がないともう音楽にならない。

そう言う意味で作曲家ベートーヴェンが何を表現したかったのかっていう思いに
到達しなければならないんです。
I:でもそういう作業をしようとするとその時代の文学や歴史、思想など色々な背景となるものを知っておかないと
自分自身の乏しい知識や経験だけではとてもじゃないですが想像力を働かせることはできませんね。
S:そうですね、でも今は過去の偉大な演奏家たちのレコードやCDをたくさん聴くことができるわけだから
時代によってこういう風にスタイルが変わってる、変えていってるんだっと地道に検証していかなきゃダメでしょ。
演奏家という人間はその偉大な遺産を継いでいると言えるわけです。

だから自分だけが格好良くしようとか、才能があるんだと言わんばかりの演奏したってだめですね。

僕たちの血っていうのはドイツでもフランスでもないわけだしね。
I:今の私達っていうのは世界中のいろんな演奏家たちの残した録音を過去から
現在に至るまで実に様々なスタイルの演奏をCDやレコードで聞き比べることができますでしょ。

そうするとどうしてもこの部分、誰はどうしているだとか、細部の処理の仕方だ
とか音の造り方だとか、表面的な所から音楽作りをすることになりますよね。
S:それは良いでしょ。
I:どういうスタイルでどのように弾くのかという選択をするときに
今自分はどこに住み何をどう考えどう感じているのか。
そしてどういうスタイルが自分に一番相応しいのかと考えたときに
あまりにも選択肢が多すぎて、かえって難しい状況が生まれている時代だと思うんです。
S:うん、でもそうやって網羅的になかなかみんな勉強してないですよ。
自分自身の体験も含めてだけれども日本の音楽家って不勉強だとおもう、

音楽に対しての考えが非常に甘いと思う。
海外へ出て頭叩かれて初めて勉強し出すんだよね、魂畜生と思ってね。
だから外国へ行って苦労した人間はそこで初めて音楽を違う角度から見るようになり
皆それなりに伸びてくるんです。
I:海外へ出て勉強していると向こうの人たちと自分の何処がどう違うのだろうと、
一体何がかけているんだろう、という事を否応なしに考えさせられますよね。
S:僕自身の体験でもね、弁護士やお医者さんたちの方が僕よりもはるかに古典音楽について知っていたりね、
ベートーヴェンやシュトラウスの事を詳しく知っていて
それはもう悔しい思いをしましたよ。

いくら彼らの言語だと言っても、彼らがよく知っていてこちらは音楽家なのに何
も知らないなんてやはり恥辱です。こういう経験をして初めて人間って親身になって勉強する気になれるんですよね。
I:なんだか恥ずかしくなってきました。
オーケストラでは毎日次から次へ新しい曲を弾いて行かなきゃならないし、
それぞれそんなに深く勉強している余裕はないですね。
ある意味演奏マシーンと化さないと時間が足りずやっていけない事も往々にしておこるんです。
お恥ずかしい限りですが・・・・。
S:いやいや色々な指揮者の元でたくさんのソリストたちと次々仕事をこなして
いかなきゃならないんだからそうそう毎回目が覚めるような体験もできないだろうしね。
でも自分が一人になったとき位、自分はなぜ音楽家として演奏しているんだろうということは考えるべきだと思うね。
自分に対する厳しい姿勢がなきゃ音楽家として進歩はないからね。
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先生のお話はまだまだ続きました。

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interviewer:aki&kaz.
2003.12.16作成