2001年12月12日センチュリー練習所指揮者室にて、2002年1月の定期演奏会につい常任指揮者高関氏にインタビュー。
ベートーベンについて大変熱く語っていただきました。
インタビュアー 奥田一夫(コントラバス)
          和田尚裕(クラリネット)
          杉江洋子(ヴァイオリン)

*高関を以下、高、インタビュアー以下、イ、と表記。

「ベートーベンの楽譜」
   
高: 今回センチュリーはベーレンライター版で演奏できるんですね!
1995年の群馬交響楽団でのベートーベン全曲演奏会シリーズでは、どれひとつとしてベーレンライター版は出版されてなかったんですよ。今回演奏する7番が昨年やっと出版されて、やっと9曲全曲そろったわけです。6年の差で、ずいぶん楽譜が違ってますよ。
   
イ: これまではブライトコフ版で演奏する事がほとんどでしたが、これと比べてどのような差があるんでしょう?
   
高: 違いが多いのは9番、5番、3番。7番8番は全曲の中では差は少ないです。ほんとに、差がすくないですね。ここにスフォルツァートが有るとか無い、とかくらい。
   
イ: そもそも楽譜に違いがあるというのには、なにか理由があるのですか?
   
高: ベートーベンの場合、 9曲の交響曲が出来上がったときの、それぞれの時代背景が影響しています。1〜3番はもう原稿がありません。原稿が見られるのは4番からです。
 まず、出版するにあたって、作曲家と出版社の間に、「写譜屋」と呼ばれる人たちがおりまして。当時は手で写すしかない訳ですよ。正確な写譜をもとに原版をつくればいいものが出来るのですが、写譜にもいろいろなものがありまして。時々、編集者の意思が入ったりして、「これはまちがいだな!」なんて、勝手に思ってしまって。写譜屋の中にはベートーベンにわざわざ手紙を送りつけたヤツまでいるらしいです。その手紙は「このような不協和音がありましたので、なおして差し上げました」と、ベートーベンの怒りをさらに増幅させるような、丁寧ないやみな書き方で。ベートーベンはその手紙に「このバカヤロー!大とんま!」など、思いつく限りの悪口をいっぱい書きなぐったらしいですよ。実際その手紙も残ってますし・・・。

当時の出版の順番としてはパート譜、スコアという順番だったらしくて。
まず、パート譜を作って演奏できるようにしたのでしょう。1番の交響曲が出来た時、1800年代に初演されて、初めて出版されたのが1820年代。それも、かなりいいかげんでね。1806年には色々な作曲家のシンフォニー全集みたいなのが百科事典の様な形でロンドンで出版されているのですが、またこれが、ベートーベンにはなんの断りもなしに勝手に載っていまして。もうこれは、全く権威的でない、楽譜として全く参考にならないだめなスコアが出版されています。しかし、ロンドンにはこの当時、音楽が大好きでスコアを見たい!と思う人々が沢山いたことを証明していますね。ところが、ベートーベンが活躍していたウィーンでは、そういう人々はあまりいなかったのでしょうか、スコアの出版はだいぶ後です。パート譜が出版されますと当然演奏されますよね。それでは、一体どうして指揮をしていたのか?という疑問が沸きますね。実は1stヴァイオリンの楽譜を見て指揮していたんです。今でも、1stヴァイオリンの楽譜には実にガイドが多いですよね。指揮者という仕事が確立されていない時代ですから、もしかしたら、指揮者無しでも演奏されていた可能性のほうが多いかもしれません。

そういった状況の中で、7番8番は初めてスコアとパート譜が同時に出版されるという、画期的なことが起こったんです。そういうわけで、あまり楽譜に間違いがなく、比較的正確なんです。

   
「ベートーベンの演奏法 ・ 音楽のスタイル」

イ: 間違いの少ない楽譜を使用する事によって、当然そこから起こってくる音楽もオーソドックスなものになってしまうのでは?
   
高: そうですね。音そのものは違わないと思います。
9番の場合は7番8番と比べて後に出来たにもかかわらず、曲が大きすぎたせいで、随分色々違ってしまったみたいですが。
私の演奏スタイルは「ベートーベンだから(こうしなければいけない)、ブラームスだから(こう演奏すべきでない)」とか、いうのは、基本的には無いんです。
音楽を一つの大きなライン上で捉えたいと常々思っているんです。ただ、初期の1番2番と、7番8番あたりでは、ベートーベン作風も変わっていってますから、必ずしも一つの方法では演奏する事は出来ないと思っています。12月は日本では9番の演奏会が非常に多くて、私自身も色々なオーケストラで9番を振りますが、1番をやるのとでは、随分感じが違いますね。オーケストラによっても、演奏に違いが出てくるところがベートーベンは面白いところです。
   
イ: そうですね。ほんとうに違いますよね。
   
高: ベートーベンを演奏する上でよく問題になるのが、音符の長さの問題です。それは、モーツァルトやハイドンでもよくある問題なのですが。僕の場合、短めに、音が抜ける方向になってしまうんです。
   
イ: そうするのには、何か訳が?
   
高: ええ。いくつか理由があるんです。
まず、長くしてしまうと他のパートが聞こえなくなってしまうという理由です。これが一番の問題です。2つ目には、フレーズの歌い方に自由がなくなってしまう、と思うんです。例えば四分音符。スタッカートが付いて無いんだから、長くやるんだよ、というのでは、非常に限られた表現になってしまう。そういう演奏が、本当に楽譜に忠実な演奏か?というと、そうではないと僕は思うんですよ。

8番に至っては、今の「音符の長さ」問題の顕著な例が、2楽章に特に沢山あります。オーケストラによっては、ことさら音価分をきっちり伸ばして演奏するというのが習慣のようになっているところもあります。同じような四分音符でもスタッカートのついているもの、そうでないもの・・・長く演奏される四分音符、短く演奏される四分音符・・・そういうものを目の当たりにして「あれ???」って、素朴に疑問が沸くわけですよ。大巨匠とか大先輩の演奏なんかを聴いていくと、やはり試行錯誤した跡を読み取る事が出来ます。ベートーベンの奏法について色々考えるきっかけでしたね。

楽譜を見ていくと、ベートーベンがスフォルツァートをしたくなくて書かなかったのか?忘れて書かなかったのか?書く必要が無いと思ったのか?当然するものと考えて書かなかったのか?そんな問題もよくありますし、あと、一体フォルテはどこまで続くのか?といった興味深い疑問もあります。よく楽譜を見てみると、ディミヌエンドが非常に少ない。僕はそれがベートーベンの楽譜を書く上での最大の欠点だと思っています。通常、ピアノの直前までクレッシェンドとかが書いてあると、スビトピアノして演奏されますが、果たしてそれは、ベートーベンの本意なのか?とか。そういうことを考えてベートーベンの場合は音楽を作っていくつもりです。

   
イ: 指揮者の立場としては、出来上がってしまっているオーケストラと、新たなものを作り出していくという作業は、至難の業なのではないですか?
   
高: 至難の業というわけではないでしょうが、センチュリーのベートーベンシリーズのように練習時間をたっぷりとってやらせていただけるというのは、とても幸せです。特にセンチュリーは柔軟に対応してくれて、指揮者として非常にありがたくおもっています。そして、今回の定期では7番8番を演奏しますが、初演でも、この2曲は全く同じ日に演奏されています。作品番号も92と93ですし。もうこれは、全く対になっている作品、ベストカップリングと言えるのではないでしょうか。
   
編集後記

練習が始まるまでの約1時間、非常に沢山のことを高関氏に語っていただきました。目から鱗が落ちる思いで、ついお話に聞き入ってしまいました。お疲れ様でした。                 洋子     
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