インタビューさせていただいたのは練習2日目の6月26日。
練習終了後に指揮者室におじゃましてお話しを聞かせていただきました


インタビュアー(以後I):今日は練習終了後のお疲れの所、少しお時間をいただいて今回の定期演奏会や我々センチュリー交響楽団についての御感想等をお伺いできればと思います。よろしくお願いいたします。
まず最初に我々センチュリー交響楽団を振っていただくのは今回で確か4回目だと思うのですが、定期演奏会の指揮者としては初めてですね。ABCのコンサートの最初のお仕事の時はセンチュリーがまだ創立5、6年目のときでしたから、おつき合いはもう結構長いと言えますが・・・・
 
外山(以後T):ABCは2年おきですものね。センチュリーとおつき合いするのは2年に1回ですから、次がセンチュリーの番で もうかれこれ8年になるはずですけどね。私がABCのコンサートを振るのは次回でもう最後になりますけど。
 
I:えっ!そうなんですか?初めてセンチュリーに来ていただいてから、ずいぶん私達も変わってきたつもりなのですけれど、まだまだ至らないところも有るとは思います。何か良いアドバイスなど頂けると嬉しいのですが・・・・
 
T:僕は指揮者って言うのは、完全に一緒に音楽を作る、その共同作業をする仲間だと思っているので、僕なんかがアドバイスをするとかなんとかそんなおこがましいことは・・・・
謙遜では無くて考えていないですけど。
僕はたまたまいろいろなオーケストラを国内も外国も少し知っていると言う立場でセンチュリーを見ると、非常に大雑把に、非常に乱暴に、またそれぞれがお聞きになったら不愉快かも知れないことも敢えて誤解を恐れずに言いましょうか。
今現在通じやすい例えで言うと、韓国のサッカーと日本のサッカーみたい。
おとなしいっていうか「皆がオレが!! オレが!!」って言ってくれると指揮者はもっと楽な場面がたくさんあるのにね。
弦楽器の各パートと言うより、皆さんの中でも一人一人が、「もっとこう弾きたいんだ!! っとか、ここはこうなんだ!! っと」いうふうに思って弾いてくれると嬉しいんだけど・・・・
みんなどうしてもっと積極性を重視しないんだろう?
 
I:センチュリーの生い立ちというか成り立ち、経験から得てきたものにそういう傾向が強いかも知れませんね。
 
T:高関さんになってから何年ですか?
 
I:5年くらいですか??
T:4、5年いらっしゃるとすれば高関さんは非常に能力の高い指揮者だと思っています。
感情的にその場の思いつきで何かをするような人ではなくて きちんと考えるし、高関さんも非常に冷静に、しかも良く勉強する方ですからね。
今はここなんだけどもっと長いスパンで考えておられるのかもしれないけど、全体としては秩序正しいけれども積極性がない、まじめ、おとなしい。
積極性を「もっとやってよ、やっていいんだよ」というような部分をなさってないんだろう?っと思うんだけど。

これはたまにしか皆さんとおつき合いしないからであって、高関さんの計画の中にはもっと長い時間で、今はここなんだけどそのうちにそれこそトルシエ・ジャパンのように追い込んで追い込んで最後に爆発させる、というような例も当然可能性としてあるわけだから、そこはだから先程も申し上げたように、現状でその責任をお持ちの指揮者なんだから、高関さんに責任がないとは言えないんだけど、今皆さんが僕から見てもうちょっと積極的でもいいのにな、と思うものの全責任が高関さんにあるとは思えない・・・
なんか回りくどい話なんだけど、<だから僕は贅沢を言えば・・・>みたいな話で、せっかく皆さん色んなことが出来るんだからもっとやってよ!もっと「私はこうだ!こう弾きたい!」という風に弾いてくれて、私が「そこはそうお考えならもっとやって下さい」ということが言えたらとっても・・・
僕だけじゃなくて多分共演する人たち、指揮者も独奏者も嬉しいんじゃないかな・・・

N響が1960年代に初めて外国にいった時の批評が全部そうだったんですね。
“オーケストラは非常に秩序正しい”と見出しがそうなのね。
でもよく読むと秩序正しいけどちょっと物足りないなーみたいな事が遠回しに書いてある。
私達は組織人間になりやすいのかも。オーケストラ全体のバランスをくずしてはいかんっとね。
それはセンチュリーだけの問題ではなくて日本のオーケストラ全体の問題ですね。

技術の水準が上がってくるとね、誰も飛び出さなくなる。
僕が入った頃のN響なんかあっちでもこっちでも「じゃあん」とか「ボーン」とかいってたのに、今は誰も飛び出さないもんね。
最初から傷が無いんだ。このつまらないこと!
せっかく色々な事が整っているというか技術の水準も整っているしるしね、音色も色々な部分で素晴らしいものが有るのに、こう全体としてみた時に積極性がちょっと足りないんじゃ無いかな?・・・とても真面目でとってもおとなしい。
 
I:貴重なアドバイスありがとうございました。
さてここで今回シューベルトの未完成にべ−レンライターの新たに出されたシューベルト全集の楽譜を使用なさいますが、その理由や特にこだわられている理由等お聞かせ頂けますでしょうか?
 
T:理由はね、特に音楽の皆さんは御存じの通りシューベルトの楽譜はこれまで非常にあいまいで、世界中のオーケストラが使っていたブライトコップ&ヘルテル版ではアクセントじゃないのかなと思うものがディミヌエンドになっていたり、だから例えば未完成でいえば一番顕著なのが一楽章の終わりでしょうね。今まであそこの最後の音はディミヌエンドだったでしょ?

どーもこれはディミヌエンドじゃねーなー(笑)て言ってたんだけどをれをベーレンライターがそう言うものを色々注意深くシューベルトの考えに従ってですね、アクセントに書き換えて出版したんですね。
そういう疑問だったあらゆるところを研究した上で書き直し、ここ数年で交響曲を全て出版し終わったんです。
どうかすると音型や小節数が違うものもあってそれらも全て書き直されています。

「未完成」のようなこういう皆さんにとって弾きなれているはずの曲に新しいパート譜を使うという事は、オーケストラの音楽家にとっては新曲をやるくらい嫌なことは承知しているんですが、そういう意味でもべ−レンライターを使うということにしました。だけど別の面でいうと、全く音楽を勉強していない人でも「あれ!音程がおかしいんじゃないのっ?」ってばれちゃう交響曲もめずらしいよね(笑)
I:さて今回は関西の新進気鋭・・・といっても、まだまだこれからの梁さんをソリストに迎えてのパガニーニですが・・・・。
 

T:彼女が小学生のときに、この曲仙台フィルでやってるんです。
もう本当に素晴らしくてね。
仙台フィルと共演する為のオーディションをやってて、僕はそのオーディションを知らないんですけど、テープを聴いただけで、審査員がびっくりしてね。「これは誰だ?」ってね。
梁さんにお会いして、今でも特に体の大きい方じゃないけど、その頃はもっと小さかったから「この子がパガニーニ?」って感じだったんだけど、今回演奏する曲を本当に見事に弾いて下さった。

パガニーニでご一緒するのは2度目ですが、多分梁さんが初めてオーケストラと共演なさったのが、僕と仙台フィルだと思うんです。それから、去年仙台であった国際コンクールで入賞されたんで、セミファイナルからファイナルを仙台フィルでいくつかコンチェルトを伺ってるし。

皆さんご存知の通り、非常に若いヴァイオリニストがいるよって言ったって、誰?どんな人だっけ?っていう非常に贅沢な時代なんだけど、その中でも僕は梁さんというのは、ちゃんと小さい時から自分はこうやりたい、こう弾きたいというのを持ってる。先生の言いなりになって機械みたいに弾くんじゃなくてね。見事に楽器を弾きこなす事を喜んでいるんじゃなくて、音楽を表現するために技術を磨いておられる。

技術のために技術をやってる人もこの頃たくさんいらっしゃるし、世の中の方たちがそういうことに拍手喝采なさるって部分もあるけど、梁さんはそれとは、ちょっと違うと思う。

 
リヒャルト・シュトラウスのスコア
I:続いてリヒャルト・シュトラウスについてですが・・・
センチュリーは初めてこの曲をやるんです。僕自身もオーケストラ生活が結構長いですが、初めてなんです。
 
この曲、やってみるとなかなか面白い曲なのに、なんで世の中にでてこないかというと、スコアを売ってないんです。これ、レンタルなんです。だから、スコアを見ようとしたら、オペラ全曲のスコアを買うしかない。そしてどの部分がどうなっているのかは、自分で調べなきゃわかんねーっていう・・・・。

僕は、リヒャルト・シュトラウスは好きなんだけど、このオペラそのものはあんまり面白くないんじゃ・・・ないかなぁ?
最近ね、スカパーで全曲やってて、見たらめちゃめちゃ面白くもなんともないんだけど。96年のロンドン・シンフォニーが演奏してるやつで、何かあんまり良くなくって。

INTERMEZZOっていうオペラはリヒャルト・シュトラウスとクレメンス・クラウスが台本書いたんじゃなかったっけ?なんかね、作曲者自身の家の中の「家庭劇」みたいなもので、つまらんのですよ。なんだけど、なかなか面白いでしょ?町人貴族とは、ちょっと違うでしょ?

お客様が、いろんな事お考えにならないで「リヒャルトって、へー、こういうの?」というふうに楽しんでいただけたらいいなぁ、と思います。


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yoko&kaz. 2002.6.26.インタビュー